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山形地方裁判所鶴岡支部 昭和56年(わ)85号 判決 1983年1月12日

主文

被告人を懲役四月に処する。

未決勾留日数中、右刑期に満つるまでの分を、右刑に算入する。

昭和五六年一二月二九日付け起訴状記載の公訴事実全部について、被告人は無罪。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、窃盗、同未遂、住居侵入被告事件(山形地方裁判所鶴岡支部昭和五六年(わ)第八五号)により、かねて山形県鶴岡市馬場町一番三三号所在代用監獄鶴岡警察署に勾留されていた者であるが、警察官に対する反抗及び示威の目的をもって、

第一  昭和五七年二月一〇日午後三時四〇分ころ、同警察署刑事第一課事務室と廊下との境引戸ガラス部分を右手拳で突き、同警察署長土海源治管理にかかる同ガラス一枚(時価五〇〇円相当)を破壊し、

第二  同年同月一一日午前八時一五分ころ、同警察署留置場第三号室において、前同署長土海源治が管理し被告人に貸与中の毛布一枚に脱糞して、これを使用不能にさせ、

第三  同年同月一三日午前一〇時一〇分ころ、前同留置場第三号室において、前同署長土海源治が管理し被告人に貸与中の敷布団一枚をその布地を手指で引き裂いて、これを使用不能にさせ、

もって、それぞれ器物を損壊したものである。

(証拠の標目)《省略》

(累犯前科)

被告人は、(1)昭和五〇年五月二七日横浜地方裁判所小田原支部で準強盗の罪により懲役三年に処せられ、昭和五三年二月二五日右刑の執行を受け終り、(2)その後犯した住居侵入、脅迫、器物損壊、傷害の各罪により昭和五六年五月一二日青森地方裁判所八戸支部で懲役一年二月に処せられ、同年七月一六日右刑の執行を受け終ったものであって、右各事実は検察事務官作成の前科照会回答書によってこれを認める。

(法令の適用)

被告人の判示各所為はいずれも刑法二六一条、罰金等臨時措置法三条一項一号に該当するところ、各所定刑中懲役刑を選択し、前記の各前科があるので刑法五九条、五六条一項、五七条により、それぞれ三犯の加重をし、以上は同法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により犯情の最も重い判示第一の罪の刑に法定の加重をし、右による刑期範囲内で被告人を懲役四月に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中右刑期に満つるまでの分を右刑に算入することとし、訴訟費用中証人長瀬恒夫に支給した分の二分の一は判示各罪の審理に関して生じたものと見るべきであるがこれについては刑事訴訟法一八一条一項但書を適用し、右以外の訴訟費用はすべて後記のとおり無罪を言い渡すこととなる昭和五六年一二月二九日付け起訴状記載の公訴事実の審理に関して生じたものと見るべきであるからこれについては同条一、二項の趣旨に照し、結局いずれについてもこれを被告人に負担させないこととする。

(昭和五六年一二月二九日付け起訴状記載の公訴事実全部についてこれを無罪とする理由)

一  昭和五六年一二月二九日付け起訴状記載の公訴事実は、

「被告人は

第一  昭和五六年一〇月二五日午後五時三〇分ころから翌二六日午前一時ころまでの間、山形県鶴岡市大字道形字継田二三四番地の二所在庄内自動車株式会社(代表取締役大滝三郎)事務室に南側腰高窓から施錠をはずして故なく侵入し、同所において、同会社所有の現金約四万九、六五〇円を窃取した

第二  同年同月二五日午前一一時四五分ころから翌二六日午前一時ころまでの間、同市大字道形字継田二一六番地の三所在渡部鉄工所(経営者渡部和夫)工場及び棟続きの事務所に右工場南側窓から施錠をはずして故なく侵入し、同事務所において、右渡部和夫所有の現金約五〇〇円、渡部真一所有のアノラック一着(時価約二、〇〇〇円相当)を窃取した

第三  同年同月二四日午後五時四〇分ころから同月二六日午前一時ころまでの間、同市大字道形字継田二一四番地の六所在有限会社共栄オート商会(代表取締役五十嵐定治)工場に東側腰高窓から施錠をはずして故なく侵入し、同会社所有のドライバー一本(時価約一、〇〇〇円相当)を窃取し、更に同工場前において、同会社所有の普通貨物自動車一台(時価約五〇万円相当)を窃取した

第四  同年同月二五日午後四時ころから翌二六日午前一時ころまでの間、同市大字道形字宝田七二番地の二所在建設省東北地方建設局酒田工事事務所赤川出張所(出張所長伊藤昭二)に正面入口から故なく侵入し、同出張所事務室において、阿部三郎所有の現金約一万七、〇〇〇円を窃取した

第五  金品窃取の目的で、同年同月二五日午後五時ころから翌二六日午前零時五〇分ころまでの間、同市大字大宝寺字東道田五四番地の九所在東北地方建設局赤川ダム工事事務所(事務所長小倉昭三)内に故なく侵入し、同所において、キャビネット八個を物色し、更に耐火金庫を工具を用いて破壊しようとしたが目的物を発見できず同金庫を破壊することもできなかったため、その目的を遂げなかった

ものである。」

というものである。関係証拠によれば、同公訴事実記載の各犯行(但し、犯行時刻については、後記のとおり一部異なる。)(以下、同公訴事実の第一ないし第五の順に、第一ないし第五の犯行とか第一ないし第五現場というように略称する。)が何者かによってなされた事実は明らかに認められるところ、これに対して、被告人は、捜査の当初から当公判廷の全過程を通じて、本件各犯行の犯人であることを終始否認しているもので、結局、本件は、情況証拠によって被告人を右犯人と認め得るか否かということに帰着する。

二  《証拠省略》を総合すれば、本件各犯行の被害現場は、第一現場が国鉄鶴岡駅の北々東方向約一、三〇〇メートル、第二及び第三現場がいずれも同駅の北々東方向約一、〇〇〇メートル、第四現場が同駅の北方向約七〇〇メートル、第五現場が同駅の北方向約四〇メートルの各位置にあり、相互に比較的近接していること、第五現場である建設省東北地方建設局赤川ダム工事事務所正面出入口付近に第三現場の被害物件である有限会社共営オート商会所有の普通貨物自動車(庄内四四す一〇三六)がエンジンキーを差し込みエンジン停止の状態で遺留されていたところ、同自動車後部座席には、第一現場の被害物件である庄内自動車株式会社所有の前記ビニール袋入り現金(当時同会社事務室の大滝智子使用の事務机抽斗内に入っていたものである。)が前記タオル(当時同会社事務室脇の台所内に置かれ現に同会社で使用されていたものである。なお、タオルは、遺留発見当時、湿った状態になっていたもので、右湿潤の程度について、証人長瀬恒夫は「濡れていた」とも、また、「絞っても滴が落ちるか落ちないかという程度であった」あるいは「若干濡れていた」などとも表現している。)により一重結びにして包まれた状態で、第二現場の被害物件である渡部真一所有のアノラック一着とともに遺留され、加えて前同工事事務所室内には第三現場の被害物件である前記有限会社共栄オート商会所有のドライバー一本が遺留されていたこと、第一ないし第四現場では窃盗被害はいずれも既遂に達していたのに対し、第五現場では二個の施錠済みの金庫が前同工事事務所室内の同一場所に集められて横倒しにされ、このうち一個は開扉寸前まで破壊されて扉に金梃が突き刺された状態になっていたものの開扉には至らず、他の一個の金庫は未だ破壊行為に着手されておらず、かように同現場での窃盗行為は未遂に終っていたこと、当夜付近の警戒パトロールに当たっていた鶴岡警察署警察官が第五現場に臨場したのが昭和五六年一〇月二六日午前零時五〇分ころであり(警察官は、同時刻ころ同現場の前同工事事務所ガラス窓越しに懐中電灯で室内を照らし、金庫が前記のとおり横倒しにされている等内部が荒らされている事実を知った。)、次いで同現場に急派された他の警察官が前記自動車の遺留を発見したのが同日午前一時ころで、第一ないし第四の犯行被害は、その後引き続き、付近一帯に他にもいわゆる事務所荒らしの窃盗被害がないかどうかの捜査が開始されて間もなく判明するに至ったものであること、以上の事実が認められる。右認定の事実に後記のとおり第一、第三及び第四の各現場にはいずれも犯人によるものと同定される同種同サイズのズック靴による足跡痕が遺留されていた事実をも加えると、本件各犯行はいずれも同一の犯人による単独犯行で、第一ないし第四の各犯行相互間の先後の順序は必ずしも明らかではないが、第五の犯行は右の第一ないし第四の各犯行が行われた後のものであることが推認され、また、そうすると、第一ないし第四の犯行の時刻が第五の犯行の時刻よりも遅いことは有り得ないので、右第一ないし第四のいずれの犯行も、遅くとも昭和五六年一〇月二六日午前零時五〇分ころまでの間になされたものといわざるを得ず、一方、第五の犯行については、第一の犯行時刻との対比により、早くとも同月二五日午後五時三〇分ころからのものといわざるを得ないことになる。なお、検察官は「犯人は、(第五現場に)警察官が臨場したため開扉寸前の金庫の破壊を中止し、現場の移動や逃走用にしようとした賍品在中の自動車を放置して逃走した」ものとし、犯人が第五現場から離脱逃走したのが同月二六日午前零時五〇分ころである旨主張するところ、前認定のとおり第五現場の犯行被害の模様、警察官の臨場時刻等の事実関係を総合すれば、右主張のとおりである蓋然性が相当高いというべきである。尤も、犯人が警察官の前記臨場よりも以前の時期(その上限は同月二五日午後五時三〇分に接着した時刻まで遡り得る。)に既に何らかの障害事情に遭って右犯行を中止し同現場から離脱した可能性を完全に否定するわけにはいかないものである。

三1  しかして、《証拠省略》を総合すれば、昭和五六年一〇月二六日午前一時すぎころ、当夜は雨が降ったり止んだりで時折雨に霰が混じるという肌寒い天候であったところ、鶴岡警察署警部補竹岡信夫は、窃盗被疑事件が発生したとして同署から緊急召集を受け、同時刻後間もなく、張込み指示地点である山形県東田川郡藤島町大字幕ノ内地内にある国鉄羽越本線の幕ノ内踏切に急行し、同踏切付近のポイント小屋(同踏切から南西方向である鶴岡駅方向に約三五メートル離れた位置にある。)において同署巡査甲州勝とともに張込み警戒に従事したこと、右幕ノ内踏切は鶴岡駅と藤島駅とのほぼ中間地点に位置する、付近に人家がなく夜間は人通りも稀な田圃地帯の中の踏切で、鶴岡駅から北東方向に線路伝いで約三、五〇〇メートル、藤島駅から南西方向に同じく約三、一〇〇メートルの距離にあること、右警戒中の同日午前二時二五分ころ、そのころ雨は暫く止んでいたが、竹岡警部補は、右ポイント小屋から鶴岡駅方向(南西方向)に約一五〇メートル離れた位置にある電化ポールの照明灯の明かりの下に、線路上を同駅方向から藤島駅方向(北東方向)すなわちポイント小屋方向に歩いて接近して来る一人の人影を発見したこと、電化ポールは線路沿いに約四〇メートルの間隔で並んで立っており、人影もその照明灯の照射外に出ると暗闇に紛れて見えなくなるなどし、この間上り貨物列車の通過のため一旦線路を降りた様子であったが、右の人影はポイント小屋から幕ノ内踏切寄り(藤島駅方向)に約一〇数メートルの地点の線路付近で沿線の畑を通って再び線路上に上がり、引き続き歩いて同踏切方向に向かったこと、そこで竹岡警部補はいわゆる職務質問を試みるべく小走りで人影に近づきその背後約三メートルの位置に迫り、その時丁度後ろを振り返った人影の顔面を自己の手に持った懐中電燈で照射したところ、右の人影が被告人であることが判明したこと、被告人は黒色系統の帽子を被り黒色か紺色の上衣に黒色系統のズボンを着用した上、ズック靴を穿き、黒色のリュックサック様の物を右手で持ちこれを右肩に担いでいたが、右のようにして竹岡警部補の姿を認めるや、いきなりその場から幕ノ内踏切方向に走り出し、同踏切をほぼ南北に横切る農道を北方向(助川部落方向)に進んでそこから一旦田圃の畦道に入るなどし、途中前記リュックサック様のものをその場に投棄した上、同踏切のおよそ北西方向に一気に逃走して竹岡警部補らの追尾を振り切り、夜陰に乗じて姿を晦ましたこと、被告人が投棄遺留した前記リュックサック様のものは、一般家庭においてごみの収納に使用する市販の黒色ビニール袋(縦七〇センチメートル、横六〇・五センチメートル)の包みで、その中に背広上下等の衣類のほか、いずれも右と同じ黒色ビニール袋に包んで区分けされた短靴(一足)及び革製手提鞄(一個)が入っており、右手提鞄の中には更に下着類、洗面道具類、現金(一万八、七〇〇円)などのほか被告人宛の自動車運転免許証が入っていたこと、右短靴は後記差押にかかる被告人使用のブーツの底面実測長等と彼此対照すると被告人が使用していたものとしても矛盾しないものであること(したがって、右短靴はその遺留に至る経過に鑑み被告人が当時使用中のものであったと見られる。)、ところで、本件犯行現場のうち第一、第三及び第四現場には窃盗犯人のものと同定されるズック靴の足跡痕がそれぞれ遺留されていたところ、右各足跡痕も、また被告人が幕ノ内踏切付近の線路沿いの畑の泥土上に遺留した足跡痕も、いずれも同種同サイズのズック靴(日本ゴム株式会社製「アサヒ印運動靴(cougar)」、サイズ二六・五センチメートル)によって印象されたものであること(したがって、犯人も被告人も、等しく、右のアサヒ印運動靴、サイズ二六・五センチメートルを穿いていた帰結になる。なお検察官は、これらがいずれも彼此「同一の履物」による足跡痕である旨主張するが、関係証拠上そこまでは認定し得ないことが明らかである。)、以上の事実が認められる。

2  以上の次第で、(一)被告人は一〇月下旬の雨が降ったり止んだりの肌寒い天候の下を深夜の午前二時二五分ころ、付近に人家のない夜間は人通りも稀な田圃地帯の中にある幕ノ内踏切付近の線路伝いに鶴岡駅方向から藤島駅方向に向け、ズック靴を穿き身の回り品をまとめたビニール袋を担いだ異様ないでたちで一人で歩いていて、警察官と遭遇するやその場に右ビニール袋を投棄して逃走したものであること、(二)前記第五現場は鶴岡駅の直近(北方向約四〇メートル)にあり、第五の犯行の日時は昭和五六年一〇月二五日午後五時三〇分ころから同月二六日午前零時五〇分ころまでの間であるところ、鶴岡駅から幕ノ内踏切までの距離は線路伝いで約三、五〇〇メートルであって、仮に第五の犯行の後その最終(可能)犯行時刻である昭和五六年一〇月二六日午前零時五〇分ころ第五現場を離れた(前記のとおり犯人は同時刻ころ第五現場から離脱逃走したことの相当高い蓋然性がある。)として徒歩で充分の余裕をもって同踏切付近に到達できる可能性があること、(三)しかも被告人は本件各犯行の犯人と同種同サイズの前記ズック靴を穿いていたこと、以上(一)ないし(三)の事実が存在するのであって、これらの事実からすると、被告人が本件各犯行の犯人ではないかとの相当の疑惑が生じるものというべきである。

しかしながら、先ず(一)については、確かに被告人の行動は検察官の主張する如く「極めて不審」であるけれども、関係証拠によれば、被告人は先きに昭和五六年五月一二日青森地方裁判所八戸支部で住居侵入、脅迫、器物損壊、傷害の各罪により懲役一年二月に処せられて同年七月一六日右刑の執行終了により青森刑務所を出所し一時青森市内の実母一戸シナの許に身を寄せたもののその後住居不定の状態になっていたことが認められるのであるから、当時の被告人の右境遇からいって、放浪の末、前記日時場所をそのようないでたちで歩く仕儀となることもあながち全く考えられないではないといえる。また、警察官と遭遇していきなりその場から逃走した点については、《証拠省略》によれば、被告人は、捜査の過程で、取調に当たった鶴岡警察署警部補長瀬恒夫に対し、「ああいう深夜駅から一里か二里歩いた人気のない所で刑事と思われる者から声を掛けられれば、重いほど前科を背負っている自分としては逃げざるを得ない」と述懐していることが認められるのであって、関係証拠上認められる被告人の前科に照らせば、何もその直前に犯罪を犯したというのでなくとも咄嗟の反応として、被告人が右述懐のとおりの心理経過で行動することも有り得ないではなく、少なくとも、本件各犯行の犯人であることを前提にしなければ説明のつかないものとはいえない。次に(二)の点については、それは、あくまでも一つの可能性に留まるものであって、窃盗被害発生の直後被害者方の門前など程近い場所に居てその際被害物件たる賍物を現に所持しているのを認められたというような場合ならば兎も角、本件はそのような場合ではなく、なお被告人が本件各犯行にかかる被害物件たる賍物を所持していたなどのことは、関係証拠上何らこれを窺い得ないところである。更に、(三)については、そのような銘柄及びサイズのズック靴(運動靴)が全国的規模で大量に市販されていることは公知の事実であって、被告人が当時、本件各犯行の犯人と前記同種同サイズのズック靴を穿いていたからといって、それは全く偶然の符合の結果にすぎないともいえる。以上のとおりであるから、これら(一)ないし(三)の事実から被告人を本件各犯行の犯人であるとするには、未だ、合理的な疑いを容れる余地が存するというべきである。

四1  《証拠省略》を総合すれば、次の事実が認められる。すなわち、第五現場に遺留されていたタオル、幕ノ内踏切付近に被告人が遺留した短靴(以上は、いずれも昭和五六年一〇月二六日司法警察員である鶴岡警察署警察官により発見領置されたもの)、及び昭和五六年一二月一〇日の逮捕当時被告人が穿いていたブーツ(同月二一日、勾留中の被告人から司法警察員である同署警察官が差押えたもの)の三点を対象物品とし、同月二四日山形県警察本部刑事部鑑識課において、警察犬の取扱いについて専門的な知識経験を有する同鑑識課巡査本間敏一が警察犬指導手となり山形市内所在同本部警察犬訓練所グラウンド内で同本部直轄警察犬ネック・V・イワテタカハシ号(シェパード牡四歳)を使用することにより、犬の嗅覚を利用するいわゆる「物品選別」を実施したこと、次いで同月二六日鶴岡警察署において、嘱託警察犬アメリア・オブ・ムーンスター号(シェパード牝五歳)の飼育者である佐久間春美が警察犬指導手として(同人はいわゆる民間人であるが長らく嘱託警察犬の飼育訓練に従事し、同人も警察犬の取扱いについて専門的な知識経験を有する者である。)、右嘱託警察犬を使用し山形県鶴岡市大字湯田川字万年入一〇〇番地の一所在大塚勝夫方駐車場(同駐車場は佐久間指導手が前記警察犬を訓練するのに日常使用していた場所である。)内で前同三点を対象物品とする右物品選別を再び実施したこと、ところで、犬の嗅覚能力については経験的に優れたものであることが一般に承認されており、計数的には人間のそれの三〇〇〇倍あるいは一万倍などとも表現されているところ、右嗅覚能力が最大限に発揮されるのはおおむね二歳から七歳までの年齢(牡牝を問わない。)であること、物品選別(「臭気選別」ともいう。)とは、犬のかかる優れた嗅覚能力を利用し、警察犬指導手において警察犬に対し或る臭気(「原臭」という。)を嗅がせてこれを記憶させた上、指導手の指示により警察犬をその場所から一定距離(本件各物品選別では七メートル)のところに設置してある選別台まで赴かせ、右選別台の上に並べた複数の物品の中から原臭と同一の臭気が付着した物品を専ら嗅覚に基づいて右警察犬に探索させて選別持参させるもので、選別台上に並べる物品は、前記原臭と同一の臭気であるかどうかについてこれから検査しようとする物品(「選別物品」という。)一個と臭気の帰属・内容が予め確定されている他の臭気(「誘惑臭」という。)を有する物品複数個(本件各物品選別では右誘惑臭物品は四個)から成り、この検査で警察犬が右選別物品を選別持参してきた場合には右事実自体を根拠にして原臭の臭気と右選別物品の有する臭気とが同一であると推論する(右各臭気が人間の個人臭にかかるものであるときは、彼此同一人の個人臭であると推論する。)ものであること、前記二頭の警察犬は、ともに、主として人間の個人臭の識別に関する専門的かつ持続的な嗅覚訓練を受けて毎年実施される所定の嗅覚試験(毎年一回山形県警察本部が主催する審査会による嗅覚試験で、これに合格したもののみ向こう一年間警察犬として使役され、なお右試験は、いずれも人間の個人臭についての物品選別と後記足跡追求の二種目から成る。)にも合格しているもので、かつ、本件各物品選別の実施当時、いずれも体調は良好(発情期である等正常な嗅覚能力の発揮が妨げられることあるべき事情のないことも含む。)であったこと、本件各物品選別においては、原臭物品、選別物品及び誘惑臭物品のいずれについても現物そのものを使用することを避け、すべてこれら物品から予め無臭の未使用白布に採取した臭気(「移行臭」という。)により、右移行臭が付着した白布を各物品につき一五ないし二〇枚用意して右白布相互間で選別を実施し(指導手が原臭の付着した白布を警察犬の鼻先に近付けてその臭いを嗅がせた上、選別台上に並べた五枚の白布から同じ臭気のものを選別させる。)、選別各回毎にどの移行臭の白布も新規のものと交換した上選別台上の五枚の白布の配列順序もその都度変更するが、この場合、選別台上の白布の交換、配列作業中は警察犬及び指導手の両者を後向きにさせ、右のようにして、警察犬に生じ得ないではない予断の形成を排除するとともに、指導手においても選別台上のどの白布が何の移行臭であるのか知り得ないようにし警察犬に起こり得る指導手の期待に対する迎合に基づく選別行動をも防止する措置をとったこと、しかして原臭となるタオル及び短靴並びに選別物品となるブーツは前記領置ないし差押の直後にそれぞれ三重のポリエチレン袋に入れて鶴岡警察署において保管中であった(但し、このうちタオル及び短靴は、後記のとおり、乾燥のため一時ポリエチレン袋から取り出している。)ところ、右三点の対象物品の移行臭の採取作業はいずれも同署側で担当し、前記枚数(一五ないし二〇枚)の無臭の未使用白布を右各物品の入っている三重のポリエチレン袋に入れて一緒にした上これを密閉して保管を継続し、本件各物品選別時に選別各回毎これを開被して使用する白布を一枚宛取り出し、このようにして各物品に付着している筈の臭気の飛散を防ぐとともに他の臭気が混入するのを遮断する措置を継続しながら右採取作業を行い、他方誘惑臭の採取作業は山形県警察本部刑事部鑑識課側で担当し、当時の同鑑識課員中五名、すなわち山科弘也、我妻久、佐藤松五郎、鈴木哲男及び金子剛千がそれぞれ当時穿いて使用していた靴合計五足を誘惑臭物品として選定した上、前同様の方法で移行臭の採取作業を行い、物品選別に当たって移行臭(白布)を相互に供与し合ったものであること(なお、誘惑臭については、右五名のうち佐藤松五郎を除く四名のものが鶴岡警察署側に供与された。)、そこで本件各物品選別は、先ず、前記対象物品(タオル、短靴及びブーツ)以外の他の物品の臭気を使用しての「予備選別」により、予め各警察犬のその時点での嗅覚能力が正常であることの一応の確認を経た上で対象物品に関する「本選別」を実施することとし、各警察犬ごとに、①(原臭)タオル→(選別物品)ブーツ、の組合せ、②(原臭)短靴→(選別物品)ブーツ、の組合せ、以上二通りの組合せにより、①及び②各四回の物品選別をしたもので、その結果は、いずれの警察犬も、①の組合せでは各四回ともブーツの移行臭を選別持参し、②の組合せでは各四回のうち各二回はブーツの移行臭を、各二回は誘惑臭(いずれも金子剛千の靴の移行臭)を選別持参したこと、本件各物品選別の実施時期を見ると、ブーツについては右差押後三ないし五日であるところ、これに対しタオル及び短靴については発見領置してから約二か月後でありやや長い期間の経過があるが、右タオル及び短靴は、右領置の直後から、後記乾燥の措置をとった期間を除き三重のポリエチレン袋に入れ、かつ右乾燥措置の終了後引き続いて移行臭の採取作業に入っており、右作業着手後は物品選別時のその都度の開被に至るまで、前記のとおりこれを入れた三重のポリエチレン袋を密閉する措置をとっていたもので、そのことからすれば、右の程度の期間の経過は、右各対象物品(及び移行臭付着の白布)の当初の臭気の保存に消長を来すものではないこと、以上の事実が認められる。

右のような本件各物品選別の結果、特に①のタオル→ブーツの組合せによる物品選別において二頭の警察犬が各四回とも前記内容の一致した選別結果を示した事実は、右タオルに付着した個人臭とブーツに付着した個人臭が同一であること(同一人のものであること)について、これを相当高度の蓋然性をもって証明しているように見え、その限りで本件各物品選別の結果は、本件各犯行と被告人との結びつきについて高度の証明力を有しているとも考えられそうである。

しかしながら、本件各物品選別については、これを仔細に検討すると、次のようないくつかの問題点が指摘される。

まず、原臭物品の一つであるタオルの、原臭としての適格性についてであるが、それが第五現場で発見された時の情況、すなわち第一現場の庄内自動車株式会社台所内にあった右タオルで同現場の前同会社事務室の事務机抽斗内にあった前記ビニール袋入り現金が一重結びにして包まれた状態において、第五現場に遺留されていた(第三現場の被害物件である)普通貨物自動車の後部座席に置かれていたという情況に徴すれば、犯人が自ら右タオルを前記所在場所から持ち出してこれによりビニール袋入り現金をそのように包む所作をした上この包みを携帯し、その後更に右自動車内に持ち込んだものであることが推認され、この推認事実からすれば、犯人の個人臭が右タオルに移行した事実自体は、(右移行の程度がどれ程であるかは兎も角)かなり高い蓋然性をもって肯定できると思われる。しかし、関係証拠上、どの犯行現場からもまた右ビニール袋入り現金のビニール袋表面からも、犯人のものと覚しき手指の指紋の遺留が検出された形跡がないことからすると、犯人が本件各犯行当時いかなる材質のものかは不明であるが手袋を着用していたことが考えられるところで、しかるに《証拠省略》によれば、人間の皮膚が直かに物品に接触しなければ個人臭の当該物品への移行は十分でない場合のあることが窺われ、これによれば、少なくとも犯人の手からタオルへの個人臭の移行は微弱であった可能性がある。そうすると前記推認事実から直ちに犯人の個人臭のタオルへの移行を無条件に結論づけることには問題がある。この点、検察官は右タオルが発見当時湿っていた事実を捉え、「犯人は霰が混じることもあった冷たい雨の中を、現場を移動する際、あるいは自動車を窃取してからは同自動車と現場の間を往復する際、霰や雨を防ぐため同タオルをかぶり、あるいはぬれて冷えた頭、顔、手、衣類、特にハンドルを握る手をふいた」ものと断定主張するのであるが、タオルが右湿った状態で発見されたからといって、これを犯人がその主張の如き使用に供した結果であるとも断定できない。結局、右タオルに犯人の個人臭の移行があったとしてもそれが果してどの程度のものであったかについては今一つ不分明であり、右移行の程度は相当少ないものであったとも考えられる。しかも、その一方、前記庄内自動車株式会社においてこれが使用に供されていた過程で、同会社関係者ら犯人以外の者の個人臭が既に或る程度右タオルに先在移行していた可能性も否定できないところである。このように見てくると、確かにタオルの前記発見情況からいって、これを物品選別の原臭として採用すること自体には無理からぬところがあり、関係証拠上、本件各犯行現場の遺留品中、原臭物品として右タオルよりも適切なものが存在したとも認め難いのであるが、このような事情を考慮に入れるとしても、前判示の諸点に鑑みると、タオルを原臭とした場合、警察犬が果して誤りを犯すことなくこれから犯人の個人臭を的確に嗅ぎ取り得るか否か危惧が残る。そうとすれば、右タオルについて、原臭としての適格性の存在は肯定し得るとしても、その充足の程度が十分のものといえるか疑問の余地があるということになる。

次に、原臭物品、とりわけ短靴の保管上の問題、またこれにからんで誘惑臭物品の誘惑臭としての適格性の問題が指摘される。すなわち、右短靴は、前認定のとおり、昭和五六年一〇月二六日当時に被告人が使用していたものであるから前記②の短靴→ブーツの組合せでは当然のこととして全回適中していなければならない筈であるのに、実際には各警察犬とも五〇パーセントの低い的中率に終ったものであるところ、この点、検察官は「二頭の警察犬とも的中しなかった二回はすべて金子剛千の誘惑臭を選別したものである。従って、原臭の皮靴の臭いと金子剛千の靴の臭いに何らかの関連性の有ることが認められるのであるが、原臭の皮靴は、実はぬれていたため鶴岡警察署写真撮影室で五、六日間ポリエチレン袋から引き出され乾燥させたこと、右乾燥もさた場所はすき間のあるベニヤ張りなどで隔てられた暗室に接しており、同暗室から酢酸のにおいが漏れてこれが同靴に混入したこと、一方皮靴に履いた人の臭気が十分染み込むには二四時間以上要するところ、金子剛千の靴は数日間履いたばかりの新品で、しかも同人は山形県警鑑識課で写真処理に従事しているもので、同人の靴は日中は酢酸を使用する暗室に保管しており同様に酢酸臭が混入したことが認められる。犬は酢酸については人間の百億倍の嗅覚を有することから、個人臭の十分染みていない金子剛千の靴の酢酸臭と原臭の皮靴の酢酸臭を選んだもので、二頭の警察犬とも全く同じ選別結果を挙げたのは二頭の犬ともその嗅覚が正常であったことが認められる。」と主張する。《証拠省略》によれば、犬は酢酸を含め、酸の臭いには人間とは比較にならない程の敏感な嗅覚を有していること、短靴は、タオルと同じく、昭和五六年一〇月二六日に領置された後、当時右各物品はいずれも湿っていたため、移行臭採取前にこれを乾燥させるべく、同日午前一〇時ころから鶴岡警察署内の写真撮影室において同室内の空気に直接曝した状態にされ、短靴については同室南側間仕切り沿いのスチールキャビネット上に五、六日間、一方タオルについては短靴の所在場所と反対側、すなわち同室北側壁際に針金製ハンガーに吊して翌二七日夕刻までの一日半の間、それぞれ置かれていたもので、その後引き続いて前記移行臭採取作業が行われたこと、写真撮影室(南・北側各三・六メートル、東・西側各一・八メートル)とその南隣りにある暗室(現象室、焼付室から成る。)との間仕切りは上部はモルタル造であるが下部の床上一・八メートルはベニヤ板張りで、右ベニヤ板張り部分は繋ぎ目の箇所に五ミリメートル程の僅かな隙間が存在し、かつ、右の暗室で使用する写真処理剤(ストップ液、定着液など)は酢酸系統の成分を含んでいること、前記金子剛千は山形県警察本部刑事部鑑識課員として同課の主な業務の一つである写真処理に従事していた者であるところ、誘惑臭に提供した同人の靴は未だ四、五回しか穿いていない新品同様のものであるが、日中は同課内の暗室に置いてあったこと、以上の事実が認められるので、あるいは検察官の主張するように二頭の警察犬とも、酢酸臭の混在があって、いわば酢酸臭に負けた結果、一様の割合で選別を誤ったという可能性も考えられないではない。しかし、前記短靴及び金子剛千の靴のいずれについても果して検察官主張のように酢酸臭が現実に移行し得るものかどうかについてはこれを窺わせるに足りる証拠は一切ないのであって、所詮右は全くの可能性の域を出ないのである。翻えって考えるに、酢酸臭との接触の可能性をいうならば、金子剛千以外の他の四名の前記鑑識課員についても、関係証拠上窺われる同課員としての地位ないし職務から見て、右接触の可能性が絶無ではないのであり、そうすると、前記①のタオル→ブーツの組合せについても、或いは、タオルとブーツ以外の他の四個の誘惑臭にはいずれも、僅かでも酢酸臭が混入していたため、警察犬はこれを除いていわば消去法的に選別行動をする結果となり、そのため全回的中の成績を挙げ得たのではないかとの臆測の余地を生じないではない(尤も、この点は、写真撮影室内でのタオルへの酢酸臭の移行をないと見てよいかどうかにも左右される。)。このように、原臭物品、とりわけ短靴については、酢酸臭との接触の可能性が存在する場所に或る期間置いたという点で保管上手落ちがなかったとはいえず、このことが本件各物品選別の結果の評価に不確定要素をもたらしているもので、他方、誘惑臭物品についても、いずれも酢酸臭との接触の可能性があるか或いは絶無ではない物品を選定したという点があり、そのため誘惑臭としての適格性の面で、適格性の存在を否定するわけにはいかないにしても論議の余地を残し、同じく本件各物品選別の結果の評価に不確定要素をもたらしているといえる。

更に、選別物品とされたブーツの保管上の問題であるが、《証拠省略》によれば、右ブーツは昭和五六年一二月一〇日の逮捕当時被告人が穿いていたものを、逮捕後鶴岡警察署内の留置場にある被疑者用個人ロッカーに収納しておき、同月二一日にその差押をし、右差押直後から前記移行臭採取作業に入ったものであることが認められ、これによれば、差押前の約一〇日間、被疑者用個人ロッカー内に入れて置かれていた(この間右ブーツについて外気との接触を遮断する措置をとったことは、関係証上拠窺われないところである。)ものであって、そうだとすると、従前同ロッカー内に収納されていた他の被疑者らの所持品等が有していた個人臭が内部に残留していて、これが右ブーツにも徐々に混入移行するということがなかったかどうか疑問があり、かように、ブーツについても保管上の問題が指摘されるものである。

以上のように、本件各物品選別についてこれを仔細に検討すれば、原臭物品(タオル)及び誘惑臭物品の、原臭ないし誘惑臭としての適格性に関し、右適格性の存在自体はこれを認め得るとしても問題点を残しており、また原臭物品(とりわけ短靴)及び選別物品(ブーツ)の保管の相当性に関しても問題がある。そうとすれば、たとい予備選別の手順を踏むことにより予め当該警察犬の嗅覚能力につき一応の確認を得たといっても、犬の嗅覚能力について常に一〇〇パーセントの無謬性を前提にすることができない以上、本件各物品選別の結果、特に①のタオル→ブーツの組合せによる選別結果に対し、ひっきょう、さほど高い証明力を認めることができないというべきである。

尤も、前認定のとおり、犬の嗅覚能力が経験的に優れたものとして一般に承認されていること、本件各物品選別に従事した各警察犬は更に右嗅覚能力の専門的持続的な訓練を経て所定の嗅覚試験にも合格していること、当時各警察犬とも体調は良好であったこと、本件各物品選別自体の実施手順や実施時期などについては特段の瑕疵が認められないこと、等の事実関係を斟酌しつつ、本件各物品選別の結果の前記内容を考えれば、同選別結果、特に①のタオル→ブーツの組合せによる選別結果について、被告人と本件各犯行との結びつきの存在に向けての関連性(いわゆる自然的関連性、換言すれば証拠として許容せられ得る最下限の証明力)までも有しないものということは相当ではない。したがって、本件各物品選別の結果、特に①のタオル→ブーツの組合せによる選別結果の関係証拠である司法警察員作成の「臭気選別結果報告書」と題する書面及び同じく「警察犬物品選別報告書」と題する書面の証拠能力を関連性の点から否定すべきいわれはないというべきである。また、他面、右の「臭気選別結果報告書」と題する書面については警察犬指導手たる司法警察員が自ら鑑定受託者の立場においてした鑑定の経過及び結果を記載した報告書面としての性格を帯びるものであるから、刑事訴訟法三二一条四項により、一方、右の「警察犬物品選別報告書」と題する書面については、司法警察員が見分した警察犬の物品選別の経過の、右見分内容を有りのまま記載した報告書面としていわゆる実況見分調書に当たるから、同条三項により、いずれも、伝聞法則の面でもその証拠能力を肯定できるものである。

2  《証拠省略》によれば、佐久間春美は警察犬指導手として前記警察犬アメリア・オブ・ムーンスター号を引率使用し、鶴岡警察署巡査大滝忠昭とともに、昭和五六年一〇月二六日午前一時三〇分ころから同日午前七時ころまで本件各犯行の犯人探索のためいわゆる「足跡追求」を実施したこと、足跡追求とは犬の嗅覚能力を利用して行う探索対象者の追求方法であり、一般に人間の個人臭はそのかつて居合わせあるいは通行した場所に或る程度の時間にわたり(犬の嗅覚に覚知される限りにおいて)残留するものであることが経験上知られているところ、右足跡追求はこの残留した個人臭を手掛りに専ら嗅覚によって警察犬に探索対象者の通行経路を辿らせもって右対象者に到達しようとするもので、屋外の場合における右個人臭の残留時間は天候、湿度や温度等の気象条件によっても左右され、残留時間が長くなるためには、それぞれ、晴天よりも曇天や降雨時の方がよい、湿度は高い方がよく、気温は暑くない方がよい、日光が照射しない場所あるいは時間がよい、などの経験的事実が知られ、例えば夕方つけられた足跡の個人臭が雨の降り続いた翌朝まで約半日間残留し警察犬の足跡追求を可能とした事例が存在していること、右足跡追求の具体的方法は、警察犬に対し探索対象者の個人臭が付着すると考えられる物品を原臭として与えその臭いを嗅がせて個人臭を記憶させた上、これと同一の個人臭の残留する足跡を追求させるものであること、前同日当時、前記警察犬の体調は良好であったこと、同日午前一時三〇分ころ、佐久間指導手は第五現場である建設省東北地方建設局赤川ダム工事事務所を出発点とし、警察犬に対し、既に領置されていたタオルを原臭として与えた(原臭の与え方は、前記のとおり領置後三重のポリエチレン袋に入れてあったタオルを、右入れたままの状態で、佐久間指導手においてこれを開被しながら警察犬の鼻先に近づけてその臭いを嗅がせるという方法をとったものである。以下、同様である。)ところ、同警察犬はその場から足跡追求を開始し、第五現場南方向の国鉄羽越本線の線路に出て線路伝いに藤島駅方向に行き、途中鶴岡営林署官舎付近に逸れた後再び線路に戻り線路伝いに更に藤島駅方向へ相当距離を進み、前記幕ノ内踏切まで線路伝いの距離で約一、〇〇〇メートルの位置にまで接近し、更に同方向に進もうとする姿勢を示したが、そのころ本署(鶴岡警察署)から大滝巡査の下に「幕ノ内踏切付近で犯人らしい男が逃走中だから、そちらに向かうように」との無線連絡が入ったため、同巡査及び佐久間指導手は、右地点でそれまでの足跡追求を中止して警察犬とともに自動車で幕ノ内踏切付近に急行したこと、佐久間指導手は幕ノ内踏切付近の被告人投棄の前記遺留品があった地点から、再びタオルを原臭として警察犬による足跡追求をしたところ、警察犬は田圃の中の農道や畦道をおよそ北西方向に一、五〇〇ないし二、〇〇〇メートル進み、その後曖昧な態度を示すに至ったこと、そこで大滝巡査が右の経過を本署に連絡したところ、「短靴を原臭にするように」との指示があったので、佐久間指導手はこの足跡追述を中止の上警察犬を連れ、領置された短靴を受け取るために途中まで引き返し、引渡しを受けた短靴を原臭として与えた上、右引渡地点から足跡追求を再開したところ、警察犬は先きにタオルを原臭として追求した経路をほぼそのまま逆に辿って八〇〇ないし一、〇〇〇メートル進み、先刻の追求開始地点(遺留品が投棄された地点)の直前付近まできてそこで曖昧な態度を示すに至り、その結果この足跡追求も中止したこと、以上の事実が認められる。

そこで検討するに、当夜は一〇月下旬の雨が降ったり止んだりの肌寒い天候で足跡追求には好都合な気象条件であるといえるし、時間的に見ても(前記のとおり、第五現場から犯人が逃走離脱したのは同所に警察官が臨場した二六日午前零時五〇分ころである蓋然性が相当高いところ、しかも足跡追求の開始は同日午前一時三〇分ころなされている。)犯人の個人臭が逃走経路上に残留している確率が高いと見られること、原臭としたタオルについては、前記のとおり、原臭としての適格性の存在を肯定し得ること、これらの点に加え、当該警察犬の前認定の嗅覚能力の程度及び当時の体調等の点を斟酌し、本件足跡追求の結果の前記内容(とりわけ警察犬が国鉄鶴岡駅付近の第五現場から国鉄羽越本線の線路伝いに藤島駅方向に進み右追求の中止地点で幕ノ内踏切まで線路伝いに約一、〇〇〇メートルの距離に接近した事実。なお、その後幕ノ内踏切付近で行なった足踏追求でタオルを原臭とした往路と短靴を原臭とした復路が八〇〇なしい一、〇〇〇メートルの区間ほぼ一致した事実があるが、右は《証拠省略》に照らすと、警察犬において自己の臭跡を手掛りにする等して往路を記憶していたため可能となったと見る余地がある。)を考えれば、本件足跡追求の結果についても、被告人と本件各犯行との結びつきに向けての関連性は、これを認め得るものの、本件足踏追求において、もとより、警察犬が右追求の結果現実に被告人にまで到達し得たというのではないのであるから、この点を考えると、本件足跡追求の結果に対してはかなり低い証明力しか認め得ないものというべきで、前記物品選別の結果のそれと対比しても更にこれを下回る程度のものであるといわざるを得ない。

五  右の次第であり、以上の認定事実(情況証拠)を総合斟酌し、その他関係証拠を併せ検討してみても、被告人が犯人ではないかとの疑惑は最後まで残るものの、さりとて被告人を犯人であるとする合理的な疑いを容れない程度の確信を生ぜしめるには遂に至らず、そうだとすると、本件、すなわち昭和五六年一二月二九日付け起訴状記載の公訴事実全部については、結局、犯罪の証明がないこととなるので、刑事訴訟法三三六条後段に従い、被告人に対し、無罪の言渡をすることとする。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判官 福岡右武)

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